うつ病OL日記

うつになった新卒OLの日記。てきとーに書くのでてきとーに読んでください。

無題

道で轢かれた猫の死骸を見た日の夜、嗚咽をシャワーでかき消して泣いた

一応、処理してくれる機関に依頼したので猫はちゃんと葬られたと思う

会社についても、家に帰っても、猫の脳漿が、だらりとした手足が、アスファルトに染み込んだ体液が、まぶたの裏から離れなかった

死にたいと思って、湯船の中で、死に方を検索した

首吊り、飛び降り、薬

全部、失敗したら重度の障害を負うらしい

何をやっても上手くいかない私のことだから、きっと自殺すらも上手くできないだろう

もし失敗して、障害でも負ったら、母親にまた迷惑をかける

どうしたらいいのかわからなくて、湯船のお湯がほぼ水になるまで、ずっと死に方を検索し続けた

泣き疲れて、風呂を出てそのまま寝た

後で気づいたけれど、風呂で寝れば死ぬらしい

睡眠薬を飲んで風呂に入ればいいのだ

それに気づいたら、幾分気が楽になった

現状について(うつ病罹患から約4ヶ月目)

最初の心療内科受診から4ヶ月ほど経ちました。
未だ完全な復職には至っていませんし、気分の上下も甚だしく、休日も寝ているばかりだったり、夜目が冴えて眠れなかったりとあまり休職中と変わらないような体調です。
ただ実感としてあるのは、やりたいことをやるための気力がかなり回復してきたということですね。

休職に入ったばかりの頃は文字通り何も出来ないような状態で、ただ、母親が働きに出ている手前食事の用意や掃除すらしないというのはさすがにいたたまれない気持ちがあり、追い立てられるように掃除や洗濯や炊事をしていた記憶があります。
がんばって本を読もうとするのですが、あまり内容が入ってこず、面白くない。以前は読書好きで、面白い作品に出会うとかじりついて熱中してしまうタチだったのですが、まるで無味無臭というか、本の味がしない、読み進める気にならない、と言った感じでした。

今はといえば、図書館へ行って面白そうな本を片っ端から借りては1日1冊ペースで夢中で読んでいます。
楽しいんです、とても。作品自体素晴らしいということもありますが、自分の脳みそがちゃんと文章を噛み砕いて味わって嚥下しているという感覚があるんです。
あと、色んなことに対する興味関心が戻ってきました。元々好きだった車も、一時期はなんだかどうでもいいような感じだったのですが、今はまた愛車を眺めてうっとりしたり、用もなくぷらっと近所を流したりできているし、アニメを一気見したり、プログラミングの講座を見てみたり、タイピングゲームをやったりすることができるようになりました。
文章を書くのもまた好きになってきました。稚拙ですが、昔は自作の小説を書いたりしていたこともありました。このブログを始めたのはうつ病と診断された頃でしたが、なんとかしてこの病を昇華しなければ私はやってられないという気持ちで、これもまた何かに追い立てられるようにして始めたものでした。文章を書こうにも思うように言葉が出てこず、簡単な文章すらも苦労したものでした。

年も明けたことですし、ここで一度心を入れ換えて、色んなことにまた取り組みたいと思っています。
このブログもそのうち、PCを使って見やすくレイアウトしたりしたいと企んでいるところですので、どうか見ていただけると幸いです。

うつ病女と映画

特に映画好きという訳でもないのだが、友人が少なく金もない人間の趣味として定番の映画鑑賞は、私にとってもまたとっかかりやすい趣味のひとつであった。

私が幼少期の頃は、まだサブスクリプションという方式のサービスはなかった記憶がある。教養というものと相容れない平々凡々な私の家では、映画といえばジブリくらいのものしか見ることがなかったのであるが、幸福なことに私はジブリ作品を気に入っていたために両親は私をレンタルビデオ屋に連れて行ってはトトロやナウシカを借りてくれたのだった。

私がアニメ映画以外の映画作品に触れたのは小学校の中学年くらいだっただろうか。ホラー好きの方にはすぐおわかりになるかと思うが、当時は「心霊現象の起こる家にカメラを仕掛けて、夜な夜な霊がさまざまな迷惑行為を施す様を収める」といったようなコンセプトのホラー映画が流行っていたのである。私はその映画を友人と見に行ったのだが、そこから私の中でホラーブームが起こり、たびたび友人を家に呼んではホラー映画上映会をした。
中でも一番お気に入りだったのが「羊たちの沈黙」だ。
初めてこれを観た時、陳腐な表現で心苦しいのだが、実に、稲妻の走るような衝撃を受けたのである。数日、興奮してよく眠れなかった。
よってハンニバルシリーズはこの頃何度も繰り返し観たのであるが、さすがに飽きて今度はかの有名な「SAW」シリーズに熱を上げ、これもまた新作が出る度にレンタルして観た。

中学を卒業する頃には、周囲に映画好きの友人がいたこともあって、ホラー映画以外の映画を観るようになった。とはいえ、心温まるドラマティックな映画にはあまり手が伸びず、もっぱら、陰気な(というと失礼かもしれないが)雰囲気の作品を選んで観ていた。この頃からダンサーインザダークのような作風が好みだった。
前述したサブスクリプションサービスがようやく頭角を現したのは、高校時代である。
当時登録していたのはたしかHuluというサービスだったのだが、その頃はまだ好みの作品があまり入っていなかったこともあり、ほとんどアニメ鑑賞に使われていた。
映画は専らTSUTAYAで借りて観ていたのだが、最寄りのTSUTAYAに見たい作品が無いことも少なくなかった。その作品を見るがためにわざわざ1時間自転車を飛ばして、家から遠い方の店舗に行くこともあった。

そうまでして観たかった作品の中で、特に思い入れがあったのが「鬼畜大宴会」だ。
知っている方なら「あ〜…あれね」とお思いかもしれない。知らない方なら、知らないほうがいいのかもしれない。そういう作品なのだ。ムカデ人間もまあ酷いものだが、あれは今となってはそれなりに市民権を得ているので、まあいいだろう。
ここで内容を書くのははばかられるので、気になる方は自己責任で検索していただきたい。しかし、ここまで言っておいてなんだが、私はこの作品が大のお気に入りなのだ。
あれはそのへんのB級映画とは一線を画している。と、私は思っている。ようやく求めていたものに出逢えた!と興奮したくらいには、私の好みドンピシャド真ん中だったのだ。

鼻息荒く語ってしまって申し訳ないが、結局言いたかったのは、金のない引きこもりうつ病女にはNetflixが最高すぎるということなのだ。
Netflixに登録さえしてしまえば、いつでもどこでも映画やアニメが見放題で、月880円で済むのである。もう外に出なくても、死にそうになりながらチャリを漕がなくても、せっかく借りたDVDのディスクが傷だらけで泣きを見ることもないのである。しかも、まあまあ新しい作品も配信される。TSUTAYAだと新作・準新作扱いのものも普通に見放題なのだからすごい。
広告も入らないしスキップ機能もあるし、早送りもできる。
ゲームや読書をする気力はないけど退屈、でも2時間の映画を最初から最後までキッチリ観る気力もない、というわがままなうつ病女の私には、これ以上ない画期的なサービスなのだ。

復職、そして年越し

12月末に一応職場に復帰する運びになり、年末休暇の直前ではあるがとりあえず出勤することになった。
朝は通常の始業時間にあわせて出勤し、午前で切り上げて早退するという形で1週間ほど過ごし、そのまま年末休暇に入った。

たった数時間の勤務、それもごくごく簡単な雑用のみであるのにも関わらず、私はどっと疲れていた。
帰宅すると倒れ込むようにして眠り、夕方になってようやく体が起こせるといった感じ。
3ヶ月間休職していて、生活リズムが変わっていたせいもあるのだろうが、体というよりは脳が疲れるという感覚が強かった。
年明けからどういう風にやっていくのかまだ未定だが、不安しかない。また行けなくなるような気がしてならない。
働かなければ趣味にも取り組めず、生きがいを無くして本当に廃人になってしまう。背水の陣。
2020年、疲弊の年だった。
昨年の正月は、一応数人の友人から新年の挨拶メッセージが来ていた記憶があるが、今年は誰からも連絡がなかった。自分から送ればいい話なのだが、そういう気にもならない。みんな、そんな気分なんだろうか。やるせない一年だった。

孤低

私には友人という存在が少ない。片手で数え切れるどころか、あれは友人に数えてもいいのだろうか?というのを含めても親指、人差し指、中指まであれば足りてしまう。

私は太宰が好きなのだが、「もの思う葦」の中で、「孤高」を自称するやつはたいていただのいやなやつで、それは孤高などではなくただの孤独、あるいは「孤低」だろう、とあった。そして彼自身をその「孤低」だと卑下している。単純だがおもしろい表現だと思った。私は孤高などではなくただのいやなやつで、はたに寄りたくないやつで、そこに非凡な魅力などは何も無いのだと、つまるところの「孤低」だと、すんなり受け入れることが出来た。
それがかなしいともくやしいとも思わないあたりが、やっぱり「孤低」なのだなと実感する。

休職の手続き等について

くだらない日記ばかり書いているので、たまには少しは役に立つようなこと書こうと思い立った。
休職までの流れと傷病手当の申請についてざっくりと説明しようと思う。

まず、私は心療内科を受診した。そこで症状を話し、うつ病という診断を受けた。私の通っているところではこちらから何か言う前に先生が「診断書を書くので一度ゆっくり休んでみてはどうですか」と言ってくれたので、素直にそれに従う形で診断書を貰うことになった。診断書は希望しないともらえないところもあるようなので、休職したいという意思があるのならその旨をしっかり医師に伝えた方がいいかと思う。
診断書を貰ったら、上司にそれを提出して休職したい旨を話せば、あとは会社の就業規則に沿って休職する形になると思う。そこでダメだと言われるような会社なら、いっそ退職する方が懸命ではないだろうか。

休職の手続きについてはこれだけだ。会社や本人の役職などによって変わってくる可能性はあるが、新卒の私には引き継ぎなどもなかったためスムーズに休職となった。

続いて傷病手当の手続きだが、私の場合は総務から書類が送られてきて、それを返送する形だった。
医師の証明が必要な欄があるため、担当の医師に内容を書いてもらって、あとは自分の書く欄を埋めて送るだけだ。基本的にはこういう流れだと思うが、総務がない会社だと自分で申請を全てしなければいけないこともあるらしい。


私の勝手な想像だけど、今このブログを読んでいる人は、会社に行くのがつらくてどうにかしたいと考えている人だと思う。
私も休職するかどうかはとても悩んだ。もっと限界が来てからじゃないと、とか、もっと辛い人だっているとか、ここで休んだら全部おしまいだとか、色々考えた。でも、休職していなかったら、もっと自分を壊していたと思う。迷っているなら、信頼できる人に心の内を全て話すか、とりあえず心療内科に行って先生に話を聞いてもらうといい。自分ではもう何も決められない、決めることすらも怖い、どうしたらいいかわからない、という気持ちは痛いほどよくわかる。自分で決められないなら、第三者に委ねるのも一つの手だと思う。

生きていく意味

うつになる前から時々考えていたことがある。
生きていく意味とか、自分の存在価値とか、そういった類のこと。考えてもキリがないし、ググッても答えの出ないこと。そんなことを延々と考えて、毎回「そんなものはない」という結論に至る。希死念慮に襲われることもある。

この間、「あん」という映画を観た。樹木希林の最後の主演映画だ。その作品の中で、樹木希林演ずる老婆が「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ。」と語るシーンがあった。
このセリフを聞いた時に、なんだかとても救われた気分になった。何者かにならなければいけない、何かしらの価値がなければいけない、何かを成し遂げなければ生きている意味が無い。ずっとそういう呪縛にかかっていたのだと気づいてハッとした。
こんな私でも生きていてもいいのかもしれないと思えた。

以前、恋人と温泉旅行に行った時、私は嘘偽りなく心からの感想として「この日のために生きてきた、もう心残りはない」と言ったことがある。本当に楽しみにしていたし、とても満足していたからそう言ったのだが、その時恋人は、「大げさだよ、これからもっと楽しいことが沢山あるさ」と私に言った。私は驚いて何も言えなかった。私は将来に対して不安と恐怖ばかり感じていて、生きること自体に及び腰になっている。だからもうこんなに幸せな時間は二度と訪れなくて当たり前と信じて疑わなかったのに、それをあっさりと否定されてしまった。
私にはまだまだ時間があって、たくさんの楽しいことが待っているのだと、恋人は教えてくれた。

もう休職期間が3ヶ月に伸びようとしている。休職したばかりの頃は、自分の目の前には深い闇だけが広がっているという感覚だった。もうこの先どんな光も差し込むことは無いと思っていた。
今は、懐中電灯を握って、闇を照らそうという気持ちになってきた。まだ照らした先に進む勇気はないけれど、私にはまだ時間がある。ゆっくり歩を進めていこうと思う。