うつ病OL日記

うつになった新卒OLの日記。てきとーに書くのでてきとーに読んでください。

なにもかもやめたくなる

唐突に何もかもやめてしまいたくなる時がある

何もかもって例えば何って話なんですが、たとえば急に仕事に行かなくなって、家にも帰らず、風呂も食事も睡眠も放棄してしまいたくなるんです

それで一体どうなるのかって言うと、まあどうもならないんですけど。

なんか、あーもう、今やってること全部やめてえ ってふと思う

運転してる時とか 寝る前のぼーっとしてる時間とか

誰からもなんの干渉も受けず、誰に嫌われてるとか好かれてるとか一切合切忘れて、自分自身という個の概念も捨てて、空気のようになりたい と思う

死にたい ともまた違う

ただ言いやすいから、言葉にする時は死にたいと言ってしまう

別に死にたいわけじゃない 痛いし、苦しそうだし

空気に溶けてしまえるならそれが1番いい

新しい環境

4月から異動になりました。異動先は居心地が良く、今のところ落ち着いて働けています。前の部署では薬を飲まないと席に座っているのがやっとでしたが、今はそんなこともなく薬を飲む量も自然と減りました。

趣味にも興味が戻ってきて、アニメを開拓したりイラストを書いたりして過ごしています。夜もよく眠れ、朝のだるさもなくなりました。

朝職場に着いても動悸がしないことに驚きました。手の震えもありません。環境が変わることは怖かったですが、今の部署の方々は本当に暖かく迎えてくれて、安心して通えています。

まだ日が浅いのでわかりませんが、ここでならもう少しやっていけるかもしれないと感じています。無理はしないようにできる範囲で頑張ろうと思います。

 

現状

何とかやっています。
会社には行けたり行けなかったりですが、一応新年度から環境が変わることになったので、頑張ろうと思っています。
今は簡単な資格を取ったり、YouTubeで動画をアップしてみたり色々とやってみています。
ブログも継続していきたいです。
やりたいことが見つかったので、これからはそのために勉強したいと思っています。
当ブログを覗いて下さりありがとうございます。

限界

もう無理そうです
毎日毎日死にたいです
ここで言っても誰にも届かないけど届かないから好きに言わせて欲しい
会社に復帰してそこそこ職場の人間関係に馴染む努力もしてがんばったし資格の勉強もしてきたしタイピングも毎日練習して点数上げてきたけどそんなことしても結局意味無い疲れるだけでした
上司は仕事だから私の事を心配してくれるだけで私の身を案じている訳では無い 勘違いしてはいけないのに忘れていました
恋人は結局土壇場になると私のことを人格否定します
私の事なんて最初から真剣に考えていませんでした
口が上手いだけでした 勘違いしていました
毎朝起きるのも辛い 眠るのも辛い 寝ていても悪夢
生きているだけでつらい
死なせて欲しいと泣いて頼んだのに恋人に鼻で笑われた
ツイッターで病みツイートしすぎたせいでみんなに白い目で見られてる
もう今月で21歳になってしまいます
思い返せばいままでろくなことのない人生でした
ずっと死にたかった
死にたさのレベルに波があっただけのことです
幼少期から人が苦手
母親の首吊り未遂
父親の入水未遂
両親の心中未遂
私も心中に巻き込まれそうになったときもあった
小学校ではいじめられている子と仲良くしていたら今度は私がいじめられました
私は毎日毎日下を向いて本を読むか絵を描くしかありませんでした 顔を上げたら気持ち悪がられるから
中学校は自律神経失調症でほとんど行けなかった
市内で下から数えた方が早い高校に進学した 授業のレベルはかなり低いのに、それですら全教科で満点とることができなかった
母子家庭だけど親にお願いして1番学費の安いところを選んで短大に進学した
せっかく入れた人気のゼミでも少し浮いていた 特に男の子たちにバカにされてた
学校内で有名な変な人にストーキングされた
バイト先で彼氏が出来たけど肝心な時に話が噛み合わずすぐ怒鳴る人だった
もういいです
もういいんです
生きてればいいこともある そんなことはわかってる
楽しかったです
大好きな先生に認めて貰えたこと
短大に合格できたこと
恋人が旅行に連れていってくれたこと
好きな車を買えたこと
好きな人と付き合えたこと
好きなところに自分で行けたこと
友達と毎日夜中まで電話してはしゃいだこと
仕事でお客さんに褒められたこと
上司が話を聞いてくれたこと
恋人のお母さんに会えたこと
いいことたくさんあった
だからもういいじゃないですか
やめたい
やめたい全部

風呂

風呂が苦手である。
というと、語弊があるかもしれない。細かく言えば、「風呂に入るまでに時間がかかる」ことと「1度入ってしまうとなかなか出られない」ことが問題で、それゆえに風呂が苦手なのである。別に、体を洗ったり、湯船に浸かるのが嫌いな訳では無い。むしろ好きだ。
温泉も好きで、コロナが流行る前はよく銭湯に通った。それに風呂に入らずには気持ち悪くて眠れない。

入浴剤を毎日変えてみたり、シャンプーにこだわったり、色々と工夫は凝らしているが、なぜだか風呂に抵抗感がある。
とにかく面倒だ。風呂に関わる全ての工程が面倒だ。
まず浴槽を洗い、湯をはり、温度を調節しながら湯に漬かり、上がって洗髪等を済ませ、湯を流し、身体が冷えぬうちに、脱衣所で髪を拭き、体を拭き、寝巻きを着、化粧水をつけ、髪を乾かす。
すべてが猛烈に面倒臭い。
そして非常に疲れる。

風呂なんて入らずとも体を綺麗に出来ればいいのにと毎日考える。
電話ボックスのような箱に入ってスイッチを押すと、殺菌消臭作用のある蒸気が勢いよく噴射され、頭のてっぺんからつま先まで一瞬にして汚れや臭いを落として綺麗にし、次に保湿剤を噴射して髪と肌に潤いを与え、仕上げに温風で全体を乾かす、みたいな機械が開発されることを祈っている。

このブログを書いているのも風呂の中である。
もう3時間ここから出られていない。
わけがわからない。
疲れているから早く出て寝たいのだけどそれができない。
この気持ちをわかってくれる人はいるだろうか。

自信

つい先日、とある資格の試験を受けてきた。
一番低い級なのでそこまで難易度の高い試験ではないのだが、私はこの試験に落ちたら死のうと思っていたのでわりと頑張って勉強していた。
結果としては、解答速報を見る限りどうやら合格圏内らしい。
まだ正式な合格発表はでていないけれど、とりあえず一安心。

試験を受けるということ自体がもう久しぶりなことなので、最近はその緊張感で結構ピリピリしていた。
試験場が遠いところだったので恋人が送迎をしてくれたのだが、午後の試験を控えた昼休みに入ったコメダでカツパンをやけ食いながら緊張で震えている私を熱心に励ましてくれた。本当に感謝しかない。
午後の試験を無事に終えて車に乗り込んだ瞬間の開放感はすさまじかった。

もう夜中まで解説動画を見なくていい、過去問を解かなくていいんだと思うと、心の底から嬉しく思った。

日常にはこういうちょっとした緊張感が必要なのかもしれないと気付かされた。
学生の頃は定期試験があったから、いい意味で刺激になってメリハリがついたのかもしれない。制約の中にしか自由は生まれないのと同じことだと。

今回の試験がそこそこ手応えを感じる出来栄えだったのもあって調子づいた私は、今年中にこの資格の上級試験を受けることを決意した。
また勉強の日々が始まるけれど、今はあまり怖くない。些細なことだけど、自分を信じる動機がひとつできたことが私を強くしたのだと思う。

この年は自分の中で成長の年にしたい。色々なことに挑戦したい。
そんなことを思ってスケジュール帳に色々と書き込んでいる時の私は、うつになる前の私の姿となんら変わらないだろうと思う。

会社に行ける。自席に座っていられる。電話を取れる。眠れる。食べれる。人に気持ちを話せる。
ひとつひとつできることを積み上げて、いつか、気づいたら結構高いところまで来ていたなと思えるように、今目の前にあるものを大事にしたい。

私はもう死のうとは思わない。またうつの波が来ても、きっと大丈夫。私には私がついている。

何もかも捨てたくなった夜

まだ定時まですら勤務できていないのに、会社に行って帰ってくるだけでもクタクタで、でも同居している母親はまだ働いているのに何もしないでいるのは心苦しくて母親が帰るまでひたすら家事をして、全ての用事が済んだ後に資格勉強やタイピングの練習をしている。
眠さと疲れとなかなか上達しない苛立ちとで段々頭が痛くなり、なぜここまでして、こんなことをして、なんのために生きていく必要があるんだ?と思った。

そのままのことを、恋人にLINEで送った。
疲れた 人に迷惑をかけたり、自分が傷ついたり疲れたりしてまで生きる意味がわからないと。
すぐに返信が来た。
なんでそんな悲しいことを言うんだと言われた。
悲しませることは申し訳ないと思ってる。それを踏まえてももう疲れてしまったんだと返した。
今度は電話がかかってきた。
私は、全身の水分が全部無くなるんじゃないかという勢いで泣いて泣いて、ろくに喋れず、それでも恋人は私が絞り出した言葉をひとつひとつ拾い上げてくれた。
だけど何を言われても私はもう全てやめるつもりだった。恋人の話もほとんど耳に入っていなかった。
もう少ししたら電話が切れる、そうしたら、みんなが寝ている間に私はこの世界から逃げてしまおうと画策していた。
しばらく沈黙があって、じゃあおやすみ、といって切ろうとしたら、今家の前に来てる、ちょっとでいいから出てきてと言われた。パジャマの上にダウンを羽織って外に出た。俯いたまま助手席に乗り込むと、恋人が「ばかだな」と言って、私の頭をごしごし撫でた。
しばらく車を走らせてから、ようやくまともに言葉が出てきた。
私はいい子でいたかった。クラスでも、親戚の中でも、会社の中でも、一番出来のいい子でいたかった。ぽつぽつと話した。私は何をやっても上手くいかない。何をさせても他の人の方が優れている。価値がある。必要とされている。私はそうじゃない。誰にも求められてもいないのに、こんなに疲れてまで生きる理由がわからない。

恋人は最後まで口も挟まず聞いていた。

何かができなくても、それだけで価値が決まるわけじゃない。今できることを自分なりに一生懸命やっていればそれで十分じゃないか。一生懸命やったんだろ?

私はそれに黙って頷いて、それ以上何も言わなかった。
それから急に物凄く眠たくなって、いつの間にか車の中で眠っていた。
目が覚めると自宅の前まで戻ってきていた。
胸の奥で渦巻いていた黒いものが、いつのまにかなくなっていた。
恋人にお礼を言って車を見送ったあと、久しぶりに深く心地よい眠りについた。



翌日になってから、タイピングの練習方法を改めて調べてみた。すると、私が行っていた練習が間違っていたことが分かったのだ。
上手くいかないのは方法が間違っていたからなのか、と気づいた瞬間、なんだか笑いが込み上げた。
そもそも方法が間違っているのに気づかず、上手くいかないと嘆いて、挙句生きることすら放棄しようとしていたなんて、なんて馬鹿なんだと思った。

その日は会社から帰って、またいつものように家事をしようとして、ふと、別に今これをしなくても、私の価値が下がるわけじゃないじゃないか、と思った。
それから、母親が帰宅して料理をする音で目が覚めるまで、夢も見ずに熟睡していた。
母親は、私のことを責めたりしなかった。ご飯も炊いていないし、お風呂も沸かしていないし、掃除もしていないし、洗濯物も取り込んでいなかったけど、私が起きたら「もうちょっとでごはん炊きあがるよ」と笑っていた。

私は何の価値も持たないかもしれないけれど、生きる意味なんてないのかもしれないけれど、ここにいてごはんを食べて、疲れたら眠って、それでいいんだと思う。今はそう思っている。